2012年6月20日水曜日

楽譜(1)

バンドをやっている。社労士の仲間で結成して間もないが、課題曲を練習してスタジオで楽しもう、という程度のものだ。私の「本職」はギターだが、EaglesDesperadoをやろうということになって、小学生のときエレクトーンを習っていた私がピアノを担当することになった。

本屋さんで買うまでもなく楽譜はネット上でみつけて、いざ練習。ところが、自分は楽譜がほとんど読めないことに気づいた。五線譜の一番下の線のその下に引いた一本線上にあるオタマジャクシが「ド」、鍵盤上のドの位置はわかるから、ドから上に「レ、ミ…」と確認してゆき、最後に和音の押さえを確定する、という作業を繰り返していった。ときには♯とか♭が出て来るし、しかも左手の位置も「ド」から確認作業を始めるので、とうとうめんどくさくなって、昔ピアノを習っていた妻に教えてもらって(妻は楽譜を一瞬見ただけで鍵盤の押さえがわかる)、それを鍵盤の絵をいくつも印刷した紙に鉛筆で印をつけて、「指の型」に落していった。楽譜から「鍵盤の絵」に書き換えたのである。昔エレクトーンをどうやって弾いていたのか、謎である。

ロックやジャズのギターを弾く私は、いつもは楽譜を使っていない。「これを弾こう」と思う曲をCDなどで聴いてひとつひとつ音を拾っていく。和音も繰り返し聴いて指の押さえ、運指をそれこそ指に憶えさせる。ギターではTAB譜というのがあって、五線譜の替わりにギターの6弦が引いてあって、その弦のいくつめのフレットを押さえるのか示してある。でも私はそれを使わず(弾きたい曲にTAB譜があるとも限らないし)、ひたすら繰り返し聴いて「耳コピ」するのでiPodが壊れるほどである。

そもそも楽譜とはなんだろうか。大昔、文字もなかった時代には、踊りやリズム、音楽、ものがたりはそれこそ見よう見まね、口まねで伝えられていたに違いない。それから文字や音程というものが定まり、印刷技術や物流の発達にともなって、時や距離を超えて文学や音楽が伝えられるようになったのだろう。音楽でいえば、作曲家の頭の中で鳴っているものがまず楽譜に書き落とされ、「楽譜として」伝わった。結果、ベートーベンのシンフォニーが指揮者の解釈によってリズムや強弱が違った演奏となる、ということもある。(続く)

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