2012年7月16日月曜日

マニュアル(1)

とある夕方、とにかく疲れていた私は、5か月になる長女が寝入ったすきに、長男を保育園まで迎えに行くまでの小一時間昼寝しようと横になった。ウトウトとしたそのとき家の電話が鳴り響き、長女を起こすまいという一念で私は飛び起き、急ぎ受話器をとった。
「はい」
「もしもし、マイク●ソフ●のお■■ですが」
「はい…?」
「あ、間違えました、すみませ~ん」
「はい」
取引先か顧客かしらないがメールは使えんのか! 時を選ばず静寂を破る固定電話を鳴らすとははなはだ迷惑だ! 今頃隣の同僚に「かけ間違えちゃった、テヘっ」くらいの照れ隠しをしながらダイヤルし直しているんだろな! とにかく疲れていた私は、そんな悪態を心の中で呟きながら再度寝ようとしたが、ほどなく、入院中の妻からのメールが私の携帯電話に到着し、テーブルの上に置いたそのバイブがけたたましく音を立てたことで、結局眠るのをあきらめた。電源をオフっておけばよかった!

私が社会人になった頃会社にはパソコンもなかったが、時を経て電子メールが開通した。「隣の席に座っている同僚への返事もメールで返す」ヤツを皆が奇異の目で見ていたのも今は昔の話し、メールでやりとりするのは今や日常茶飯事である。だが、メールなどの功罪を論ずるのはここの主旨ではない。私が気にするのは、口で言えば済むものを文章にする、という行為である。

口で言えば済むかどうかは別として、口伝えを文章化したものにマニュアルがある。仕事上でも業務マニュアルなどがあると思うが、その内容が複雑であればそのマニュアルも複雑でしかも大量になるだろう。となると、それを受け取るほうもそれなりの覚悟を持ってそれを読み込まなければならない。なまはんかに読んで質問などすると、「マニュアルに書いてありますよ」的な反応も十分予想される。その答えは、マニュアルのどこか(隅の方)に書いてある可能性が高い。「書いてあんだから読めよ」「読んでから質問しろよ」…これはそれを作った人の人情、いやすでにマニュアルそのものの情と見まごうばかりの拒絶反応である。確かに膨大な労力と時間を費やし、高度で複雑な業務の完璧な再現性を目指して作られたマニュアルである、その気持ちもわからないではないが、スキのないヤツは魅力のないものである。そんなマニュアルを読み込む気にはならないものである。

もしかすると、マニュアルは完璧を目指してはいけないのではなかろうか。「誰が読んでもすべてわかる、読めばできるようになる」というマニュアルは存在しえないのではなかろうか。読む方の都合も考えてくれるなら、「ほかは口伝えで」とある程度棚上げしておくくらいにしておいたほうが、よほど機能するのではなかろうか。もちろん、「口伝えで」が行われなかったら意味をなさないけれども。(続く)

0 件のコメント:

コメントを投稿