2012年8月14日火曜日

マニュアル(2)

業務マニュアルの内容が複雑であればあるほど、そのマニュアルが目指しているように業務が行われているとは考えにくく、各人の勝手な理解や思い込み、勘違い、間違いが起こっている可能性がある。とすると、折をみてその業務内容をチェックしなければならないはずだが、そもそもマニュアルを作った段階でその「労」は一定程度放棄しているのだから、「ノーチェック」ということもあるだろう。結果として問題が起こったときの責任の所在は、この場合あやふやである。マニュアルを渡されて業務に当たっていた例えば非正規労働者が、組織に対して「お前らの責任だ」と面と向かって言えるかどうか…。

労働者の3分の1以上が非正規労働者である現在、正社員と非正規社員の格差はさまざまな角度から取り上げられているが、そのひとつが教育訓練のあり方である。長期雇用を前提とした正社員にはオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)を始め手厚い教育訓練が行われ、一方で非正規社員には十分なそれが行われていない、と論じられている。その背景にはいろいろな要因があるだろうけれど、本タイトルにおいて私が言わんとしているのは「文書化の恍惚」である。

なにかのマニュアルを作るとちょっと「悦に入る」ところがある…のではないか? 業務の流れが分かっていなければ作れない(「私、分かってます」)し、読めば分かるように工夫する(「みんな使ってね」)し、できたら完成したプラモデルのように愛でたりする(「いい出来だ」)。複雑な業務であればあるほど作りがいがあるというもの。皆がみなこれを熟読するワケがない、と半ば知っているけれども…。パソコンやメールの普及によって、文書化は手軽に実現できるようになり、以前は口伝えや見習いで仕事が伝授されていたものが文書として「配布」されるようになった。マニュアルは、受け取る側の気持ちなどお構いなしにあちこちに用意されている。以前のブログ「楽譜(2)」で取り上げたマクルーハンの言葉をもじれば、「マニュアルが印刷・配布されて以来、OJTと仕事は分離することになった」とでも言えようか。

そこに業務がある限り、「文書化の恍惚」への欲求は機をうかがっている。「パートタイマーの業務マニュアルを作ろう」…。マニュアルにする程のものなのか、マニュアルにすべき仕事なのか、折をみてチェックする体制はどうなのか…、そのあたりを見極めることが、組織の将来のパフォーマンスを左右するのだろう。

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