2012年8月24日金曜日

団体

前回、ロンドンオリンピックを取り上げたついでに、団体戦でのメダル獲得が目立った大会だったね、ということについて。私も卓球女子やアーチェリー、フェンシングや、そもそも団体戦であるサッカーやバレーボールなど、そのメダル獲得に盛り上がった。その後も「卓球三姉妹」のこれまでの物語など、各テレビ番組を観て感動したものだ。そしてそこには、(やはりと言うべきか)昨年来ある意味有名な漢字となった「絆」の文字が鎮座ましているのである。ただここでは、その言葉を、(我々が気軽に使っているようにではなく)「重荷」に感ずる人たちもいるのだ、ということを記しておくにとどめる。

ところで、「日本人は集団主義的だ」といういわば通説に疑問を呈する議論はいくつもあるようだ。私が読んだ本では、「『集団主義』という錯覚日本人論の思い違いとその由来」(高野陽太郎・新曜社)は、過去の実験や実証研究を分析し、「日本人=集団主義的」「欧米人(アメリカ人)=個人主義的」という図式が成り立たないことを論じている。また、「日本産業社会の『神話』」(小池和男・日本経済新聞社)では、日本人が集団主義的だというのは「幻想」で、もともと協働的ではないのでは?という議論を展開している。実際どうなのか私には語る用意はないけれども、「集団主義的」という言葉自体は漠としており、例えば、「周りに同調しがちである」という意味でもありそうだし、「自らが属する集団の利益を優先し個人的利害は二の次にする」という意味でもありそうだし、そもそも集団の範囲をどこ(会社、日本人など)に設定するかによって、考え方は変わってくるようでもある。

最近「長期雇用制組織の研究 日本的人材マネジメントの構造」(大藪毅・中央経済社)という本を読んだ。日本の組織を「柔軟貸借モデル」と、アングロサクソン(欧米)の組織を「公式承認モデル」とに分け、議論を進めている。詳細は本書を読んでもらいたいが、印象的だったのは、日本の柔軟貸借モデル組織では各人の職務と職務の間に落ちてくる業務(ポテンヒットと呼んでいる)があり、それを積極的に拾いにいく行動特性の持ち主が、長期雇用性の組織での信頼を得ることができる、という図式である。また、引用するとこのように、柔軟貸借モデル的な日本の職場では、個人の自覚によって生産性のバラツキが大きい。よく日本の組織は『集団主義』的と言われるが、実は構成員の意識がどうあるか、『職場の空気』によって生産性が大きく『振れる』構造をもっている」という部分は、なるほど!と感心させられた。そうか、日本の組織は、集団主義的に行動すれば生産性が高くなるようにできているんだな。日本人がもともと「集団主義的」なのかどうかはともかく…。

を以て貴しとなす」と聖徳太子が定めたのも、長期雇用性組織を日本の会社が作り上げてきたのも、根は同じ意図があるのだ、とは言い過ぎだろうか。逆に言えば、集団主義的では「ない」行動特性が成果を上げられる社会システムが仮にあったとして、それを実現するための心づもりというか、日本人にはその準備さえ実はできていないのではないだろうか。

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