2012年8月28日火曜日

草むしり

唐突だが、草むしりが(ちょっと)好きになった。

我が家はマンションの1階だが、カド部屋で南と西に庭がある。結構な広さで、当初芝(高麗芝とか、なんの芝かは知らない)が敷いてあったが、入居して10年、庭の手入れなどほとんどやっていなかったから雑草のほうが威張っている。特に西面の庭はあまり立ち入らず、たまに覗くとエライこと(雑草のジャングル状態)になっていた。年に2回ほど、意を決して1日がかりで雑草をむしるのだが、翌々日あたりは太ももが筋肉痛で階段の上り下りは不能となっていた。そんなことだから、ますます「庭いじりなどしない、庭の手入れなど年寄りのやるもんだ」などと意欲を失い、つまるところ雑草の天下である。しかし、長男も駆け回るようになり、庭でなんやかや遊べるようであればそこは親心である、仕事から帰ってまだ陽の暮れきらないある日の夕方、タバコをくゆらせながら庭を眺めていた私は、いつしか雑草をむしり始めていたのであった。

作業は夕食までの短時間に行われる。だからやれる場所は限られた範囲だが、その代わり筋肉痛にならない。抜いた雑草も少量なので、ゴミ捨ても大儀ではない。不法占拠している主犯格は「ヨモギ」だが、コイツの太い根を根こそぎ抜いてやった時の充実感たるや。まだまだあるぞ、でも子供とお風呂に入ってから夕食だ、明日抜いてやるぞ! その明日が雨だったりすると、なにか楽しみなイベントが中止になったような虚無感が襲うのである(大げさではある)。そんな日々が続き、ヨモギを駆逐したと思ったら名も知らぬ雑草がヒョコヒョコ生えていたので、イタチゴッコである。これを抜いてみると、芝の名残もなく裸の土となっている。忍耐強くこの作業を繰り返し、名も知らぬ芝が失地を回復することを祈る日々である。

以前サラリーマンだった頃は、「ある程度集中的に仕事に時間を費やす方がいい」という考え方だった。つまり「集中的にまとめてやってしまう」という考え方だった。残業時間など意に介さず、自分が納得するまでやっていた。短くなってきているとはいえ「サラリーマンの労働時間は(欧米諸国に比べ)長い」という議論は以前からあるが、過酷な労働環境にあるサラリーマンがいる一方で、「納得するまでやっちゃっている」人も一定程度いるのではないだろうか。私は最近、「毎日少しずつやる」というのもいいものだ、と考えるようになった。もちろん、以前のサラリーマン時代とは立場(個人事業)が違うし、仕事も基本的には一人でやっているので環境が変わっている。子供を寝かしつけてからメールのチェックをしたり仕事をしたりしていると、終わるのは夜中になったりするが、仕事時間を小刻みに分けて、その間草むしりをしたり、子供と風呂に入ったり食事をしたり、ギターを弾いたり、そんなことを挟んでいる毎日もいいものだ、と思う。

私の仕事が「生産性が高いのか(儲かってんのか)」については胸を張れるものではないが、長時間労働で健康を害するよりはいい。仕事時間を小刻みに分けるなど会社員にはなかなかできないだろうが、雇用のあり方や非正規労働者の増加が問われている今、柔軟な働き方・時間の使い方という観点からすると、仕事や時間に対する考え方の転換も求められているのではないだろうか。

毎日30分、草むしり・土いじりに没頭するのもいいものです(筋肉痛に注意)。

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