2012年9月2日日曜日

衝突談

朝、仕事に向かう途中、自転車同士の衝突事故の瞬間を目撃した。正確に言えば衝突「直後」の瞬間を見たのだが、一方は宙返りをしたので相当な衝撃だったようだ。私は歩をやや早めつつ、2人の当事者がどのような対応をとるのか興味を持って近づいていった。ある光景を思い出しながら

ある光景とは、私がまだ大学生だった時に、旅行先の中国・広州で見た光景である。広州駅前にはロータリーがあって、車が各方面からロータリーへと合流してぐるぐる回っていた。私はそれを、宿にしていたホテルの窓から何気なしに見下ろしていたのだが、2台の小型車(一方は荷台のある車)が衝突し、一方が宙返りをして着地をした。大丈夫か! と、各運転手が出てきて何やら話しをしている。たいしたケガはしていない様子だ。もちろん声は聞こえないし、2人の表情もわからないのだが、身振り手振りで喧嘩ゴシのようではある。しかし、まもなく2台はそれぞれの方向へと走り去っていった。その後のことは知らない。そのとき私はなぜか笑みを浮かべていた。なにかこう、たくましいというか、表現は見当たらないが敬意のような感情が湧いていたのである。

その時代の中国は、私の記憶では色彩の極めて乏しい世界であった。その時からすでに四半世紀が経ち当時の記憶がセピア色になっているのかもしれないが、空は灰色のかすみがかかったようで、街中はかすれた緑と赤と、足元には毒々しい黄色の液体が流れる世界、という印象だ。舗装されていない道路も多く、車は上下に跳ねながら進み、道の両側からは車などお構いなしに横断者が飛び出してくる。色あせたバスに乗り込もうとその入口には我先に人が押し寄せ、「順番に」という感覚がない。そんな世界に、大学生だった私はカルチャーショックを受けたようだ。「ナンだよ(笑)」などと口にしながらも、決して見下していたわけではなく、そのたくましさというのか、したたかさのようなものを、一種の畏敬の念とともに感じていた。その20年後、私は再び中国に足を運んだ。その世界は以前に比べ色彩が豊かになっていた。しかし、人心はその20年でどのように変化しただろうか、あるいは、していないのだろうか。私にはそれを語る用意はないが、最近の尖閣諸島の問題などを見聞きするとき、私は四半世紀前のロータリーやバスの入口や、または水墨画の掛け軸を売りつけようと近づいてくる彼らを、やはり思い出すのである。

さて、日本の2人はどうなったか。歩を早めて近づいた私にも聞こえなかったが、おそらく「大丈夫ですか」「大丈夫です、大丈夫ですか」「大丈夫です」という手短かな会話で終了したようだ。片方は引き続きおそらく駅に向かって自転車を走らせ、もう片方はその自転車の前輪はマンガのようにひしゃげ、彼はおそらく来た道を、前輪を持ち上げながら引き返していった。

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