2013年6月7日金曜日

政治はなぜ嫌われるのか(2)―「政治はなぜ嫌われるのか 民主主義の取り戻し方」

最近読んだ本を紹介したい。

「政治はなぜ嫌われるのか 民主主義の取り戻し方」 コリン・ヘイ(吉田 徹 訳)(岩波書店)。著者はイギリスの政治学者で、主に欧米の先進民主主義国を対象に、政治に対する「幻滅と白け」がなぜ起こっているのかを分析している。彼はこう問いかける。
―確かに市民は以前よりも批判的になったのかもしれない。しかし彼らが必要以上に批判的になっているとはいえまいか。その他の国の意識調査でも、政治や政治家、政治制度に対してかつてないほどの軽蔑感が募っていることは明らかになっている。これも、政治と距離をとっている有権者という、健全な現実主義的な意識が発展しているというよりも、はるかに深刻で無視できない状況といえまいか。―

本書では、先進民主主義国にみられる政治に対する必要以上の批判的態度、あるいは「幻滅と白け」の最大の原因を、1980年代からこれらの国々で知的潮流として力を得た「公共選択論」の理論群に求めている。
第三章「脱政治化の国内的源泉」では、その章の主張を以下の6項目にまとめている。
1 私たちは政治アクターの悪意を想定している。
2 このような想定は歴史的に珍しいことではないものの(第一章参照)、一九八〇年代以降の先進民主主義国に特徴的なものとみなすことができる。
3 皮肉なことに、また深刻なことに、こうした想定は政治エリート自身によっても共有されており、現代の公共政策での基本的な方針となっている。
4 そのような想定は政治エリートによるものであれ、彼らを信任する市民によるものであれ、不幸で意図しない、倒錯した結果を生む。
5 そのような想定をする理由に特別な根拠はなく、これは政治エリートの特質が変わったからではなく、知的潮流の変化によるものとみなすことができる。
6 そのような想定が広く行き渡った原因は、特定の理論群(公共選択論)が一九八〇年代に公共政策に与えた影響に求めることができる。

少々長いが、以下引用する。
―公共選択論は、一般的に政治家や政治エリート、公務員が道具主義的な前提から行動すると想定する。もし政治家や公僕が合理的で計算し尽くされた自己利益的な行動をとるならば、彼らが公的・集団的な財を提供することなどない、と指摘したのである。こうした立場は、一九七〇年代に広まった危機を上手に説明する理論として広く受容された。これは、限られた税収を基盤に政府支出の恒常的な拡大を求める有権者を満足させようと、その期待値を釣り上げ続ける「過重負担(オーバーロード)」によって時代の危機は引き起こされたという説明を生んだ(例えばCrozier et al. 1975参照)。そこから求められるのは、簡単にいえば「政治」をより少なくすること(政治とは政治家の道具主義的な自己利益と彼らが仕えるセクターのことだから)、「公的部門」を少なくすること(公的部門は「公僕」の既得権益に守られた官僚機構の非効率性そのものだから)であるとしたのである。以上のような考えを政治エリート自らが自家薬籠中のものとしたというのは、不可思議に聞こえるかもしれない。確かに、現代の公共政策における公共選択論の影響は、自己否定の響きがどこかにある。しかし、その影響力は衰えるばかりか、例えば中央銀行の独立性が擁護されていることにみられるように、政策形成とその実施を独立した公的機関に委任し、公共政策を「脱政治化」するという広範なトレンドとなって表れている。そして、「政治」はより少ない方が良いと政治家すらもが考える時代にあって、政治不信と政治離れが蔓延するのは当然のこと、ということになるのである。―
―公的な言説において「政治」とはすでに、欺瞞、強欲、汚職、不当な介入や非効率と同義に成り果ててしまっている。そうなったのは、何も過去の政治家と比べて、現代の政治家の行いが罪深いものへと変化したからではない。そうではなく、むしろ私たちが彼らにそのような目線を投げかけ、彼らの行為をそのように判断することに慣れ切ってしまったからなのである。だから、政治を注視すればするほど、そのような思い込みは強化されていくことになる。現代の政治不信と政治離れの原因は、少なくとも部分的にはこうした不幸な習慣から生じている。しかも、もっと悪いことに、政治家自らがこの習慣を身に着けるようになってしまっているのである。―

「『身を切る』のスローガンだけを口にする」“風潮を生むに至っている”「不幸な習慣」を断ち切れるだろうか。週刊誌にしばしば登場するエリート官僚の自虐的な覆面座談会や政治家の「悪事」を、「嫉妬心」がないまぜとなった好奇心から日々消費するのをやめられるだろうか。“「規制」イコール「役人の既得権」” “「官」から「民」へ”という方程式にしたがった言説に、疑問を呈することができるだろうか。

「政治家がバカだから」と答えたあの小学生は、今おそらく30歳台後半だろう。この知的潮流は形を変えつつ、しばらくは続くように思える。(続く)

0 件のコメント:

コメントを投稿