2013年7月21日日曜日

「経済学に何ができるか」

最近読んだ本を紹介したい。

経済学に何ができるか 文明社会の制度的枠組み」 猪木武徳(中公新書)。タイトルから、経済学の本かと思ったが―確かにそうなのではあるが―、どちらかといえば副題の「文明社会の制度的枠組み」が、著者の主張に沿ったタイトルに感じられた。著者である、青山学院大学特任教授で経済学者・猪木武徳氏は、過去のブログ“政治はなぜ嫌われるのか(1)「茶の間の正義」”で紹介した。そこでも、デモクラシー下の人々の心理に言及していたが、そのような現実社会と氏の専門である経済学とがどのような関係にあるべきなのかを、本書で語っている。以下、例によって引用する。

―自由と規制の議論は、新会社法に関しても、今後幾多の試行錯誤を重ねながら修正されていく可能性があろう。自由か規制か、といった平板な図式ではなく、「最大の自由には最大の規律が不可欠」という命題の意味を再考する必要が出てくるはずだ。自由というものは法を予想した概念だ、という考えを深く理解しなければならない。経済学者の多くが、法の実現という規律面での効率には関心がなく、規制緩和による効率ばかりを研究しているという批判は素直に受け入れたいものだ。―
一般に、消費者は受身であり、産業社会の主役である大企業が生み出す負の生産物の被害者であると強調されることが多い。しかし古代ローマの警句に「買い手は用心すべし」あるいは法の原則として「売買されたものの危険は直ちに買主にかかわる」という言葉がある。もちろん製品の技術面での複雑さにおいて、古代と現代を同日に論ずることはできない。しかし現代の消費者が、あまりにも製品の質や安全性あるいはリスクに関して無頓着、かつ依頼心を強めているのは事実であろう。国が、そして行政が、消費者を常に完全に保護してくれると考えることが当然になっているのだ。
自分の眼、自分の舌や嗅覚は不要であるかのごとく、消費者は「賞味期限」で食品を管理するだけでよいと考える。国や行政に護られすぎた結果、自分自身を守る力を衰弱させ、その結果、日常生活においても他力本願になってしまっているようだ。しかし、できうる限り自分の身は自分で守る「習慣」を身につけ、自分の好みを自分自身の責任で掘り起こすという「習慣」を獲得することによって、初めて消費は倫理性を獲得することができるのではないか。―
―政治結社、大企業、労働組合、各種職能団体、消費者団体などの中間団体が、それぞれのメンバーの利益を公共性になじむものへと転化していくという機能は、市場経済においても無視することはできない。他方、こうした中間的組織が、圧力団体としての力を蓄えリベラル・デモクラシーにとって脅威と化すこともあろう。したがってこの種の中間団体が全体の利益にとってプラスの影響を与えるのか、マイナスに作用するのかは、実証的な問題であって、理論的な解答に現実的かつ有益な教訓が含まれているわけではない。しかしこうした組織が、デモクラシーと市場経済において果たす役割は今後さらに重要になることは否定できない。その最大の理由は、おそらく巨大化し、複雑化した現代の経済は、その全領域をprivate(私)とpublic(公)という二つの局面で区切るだけでは不十分となってしまった点にあり、今や人間の社会生活にはprivateでもpublicでもない、あるいはそのいずれでも解決できない局面が生じており、それをcommon(共同)という中間領域として位置づけ、公共の利益の増大に結びつける努力が求められているからである。―
―社会保障すべてを国家に任せることで問題が解決するわけではない。企業や労働組合などの中間的な組織がその役割の一端を担うという責務の意識は常に求められる。独立自尊を旨とする文明社会の人間は、国にすべてを頼るのではなく、個人が「連携する」ことによって中間的な組織を作り、共同の利益を実現させるという装置を制度的に組み込むことが必要とされるのだ。―
―したがって、効率を達成する厳しい市場競争と再分配政策を補完的に組み合わせて社会的制度をデザインするということが必要であり、いずれか一方だけで、競争と分配の制度を作り上げることは、人間の正義の感覚になじまないところがある。つまり、人間自身が二つの両立しにくい原則を求めているため、その解決策も折衷的にならざるをえないのである。競争の原理は同時に再分配の原理を求めているのである。もちろん、これら両者の順序関係も問題となる。競争による効率の達成があり、その「行きすぎたと思われる」結果を補正するものとしての衡平を考慮するという視点である。先に触れた社会的正義という言葉の「社会的」というのは、こうした正義と衡平を組み合わせることの必要が、人間の「社会性」そのものに根ざしているということを暗に意味している。―

このように、本書には「習慣」「倫理」「正義」「社会性」といった、経済学の本(と思って手にした場合)には意外な言葉が多く登場する。まさにここが本書の狙いなのかもしれない。最後に、本書で引用された格言(警句?)を紹介して終わる。

「愛のない正義は残酷となり、正義のない愛は亡びの母となる」(『マテオ福音書についての注釈』トマス・アクィナス

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