2013年12月23日月曜日

「キャリア教育のウソ」

最近読んだ本を紹介したい。

「キャリア教育のウソ」 児美川孝一郎(筑摩書房 ちくまプリマー新書)。キャリアカウンセリング関連の資格保持者である私にとって、衝撃的なタイトルでありながら、同時に、溜飲を下げる内容を期待して手にとった。キャリアカウンセリングの現場で私が時折感じる疑問を、著者が「ウソ」という言葉に込めて説明してくれるのではないか、という期待である。

ときに、就職支援会社が主催する「就職フェア」などに、キャリアカウンセラーとして参加することがある。個別ブースで、来場者の学生や転職希望者の相談に乗るのだが、新卒就職活動中の学生などをみていて、かわいそうになることがある。厳しい就職競争のなか、「やりたいこと」「自己分析・自己PR」など仕事や自分についての分析をさせられ、その流れに「ついていけない」人、そして「かえって自分を見失う」人は多いのだろうと感じる。現在の「就活」を全否定するつもりも、またその立場にもないが、なにか釈然としない気持ちを抱くのである。

「キャリア教育のウソ」から引用する。
―ここでは、ウソという言葉を“からくり”や“わな”といった含意で捉えている。学校や大学においてキャリア教育に取り組んでいる教師たちは、本当に熱心である。現場には「善意」が溢れている。
しかし、善意は、つねに良い結果をもたらすとは限らない。良かれと思ってやったことが、子どもや若者を追い込んでしまったり、逆に、リアリティを欠いた「夢想」の世界に走らせたり、既存の秩序への「適応」を強引に迫ったりすることもある。
実は、キャリア教育の現場には、こうした“逆説”がたくさん存在している。逆説的な帰結を導いてしまう多くの“からくり”や“わな”がある。
それを暴いておきたいというのが、僕の本意である。若い人たちには、多少とも「ショック療法」になってしまうかもしれないが、今あるものをいったんは「ウソ」かもしれないという点から捉え直し、“突き放してみる”視点を手に入れてほしいと願っている。それは、自己の認識や判断力を鍛えることにつながり、まさに自らのキャリア形成に資することなのだから。―
―日本の職業世界では、専門職や専門的職種などを除くと、そもそも雇用は、ジョブ(仕事)によって切り分けられていない。文系のホワイトカラーなどでは、その枠内であれば、どんな仕事にも対応できることが求められる。職業世界の「現実」がこうであるのに、キャリア教育においては、「やりたいこと(仕事)」を明確にすることが求められる。―こうした対応関係には、もともと無理があるのではないか。
僕が、「やりたいこと」重視のキャリア教育に“危うさ”を感じてしまう理由には、この問題が根っこの部分に横たわっている。―
―これからの個人は、“組織が自分のキャリアを開発してくれる”ことを期待しているだけでは、おそらく立ち行かない。“個人が自己のキャリアを自律的に開発していく”ことが求められる。そして、それこそは、学校現場でのキャリア教育が、若者たちにぜひとも身につけてほしいと考える、「働くことへの構え」であるはずだ。
そういう時代が到来しているにもかかわらず、これまでのキャリア教育においては、「正社員」という存在が“称揚”されすぎてきたのではなかろうか。―

ときに、キャリアカウンセリングのトレーニングセミナーに参加することがある。他人のロールプレイに対し、教科書に書いてあるような指摘をしてくる“トレーニングにいっぱい参加している”“上から目線の”カウンセラーもいる。「もう少し“何がやりたい”のか『傾聴』して聞き出したほうがいいよ」などと…。こんなカウンセラー自身も、“からくり”や“わな”にハマりこんでしまっているのかもしれない。

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